イエローダイヤ・マン《標榜編》〔101〕俺は今まで相当の勘違いをしていたことを昨日のドイツの選挙結果を見て改め鑑みる。錯綜は俺の中で許されないし、言語男子を選んだのだ。ここでいい加減な面白半分でいてはこの先迷路が待っていることに気が付く。宗教の迷走なのだ。俺自身の家は浄土真宗だが、このニッポンを取り巻く環境はかまびすしい。シェア争いは過熱している、ここに俺が気が付いたことはラッキールーフで、偶然にも宗教の世界に足を踏み入れついで調べたことが良かった。幸福の科学はきっとこれが最善と断言するだろうし、俺たちの宗教ではそれはいかがなものか?と矛先がなる。それぞれが立つ位置が違っていて、まんまと政治に食指を延ばし、この世界を牛耳る創価学会を俺は全く認めない、もちろん俺の家は檀家であっても浄土真宗すら認めてはいない。無宗教という言い方は違っていて、俺は思想家が現われていずれすべてを明確に統合していくだろうとの算段のもとにある。俺はこの会社を文系で落ちてもう一回チャレンジし生き延びた。その経緯は人間の温情にあやかった経歴でもある。宗教よりも大きな器があることを既に知ることが関与した。もちろん二回目で俺は理系で受験したのだ。文系の人間は時々、とんでもないことを吹聴するし、それを諌めるのは俺たち理系でしか出来ないのだ。