イエローダイヤ・マン《標榜編》〔79〕昨夜は古館さんが司会を務める番組に俺は感動した。前も一回感動したので、二匹目のどじょうは果たしているか?と気軽にチャンネルを替えて見たら案の定二匹目がいて、影についてを論じていた。この発見は大きくて、ニッポンでも影こそが文化を担う一面はあって、影武者などの黒澤作品は群を抜く。なぜ、影がいかついかというとそれが本体ではないからで、司法に渦巻くそういった幻影を古館が解明していた姿に彼の存在力を見たのだ。どんな形であれ言葉で標榜する仕事にいるのだ。視聴率よりも大事な核心があることは当然で俺はそういったエピグラム領域にニッポンが入ってきたことが快挙だし、競う・・・ということの原型が整ってきたことが果実だと思う。もともとコラムなどしたためる才能のなかった俺がファンを増やしていくことが可能になったのはみんなのお蔭の部位が大きくて、小池バリューの賜物である事実も見えてくる。実はヒントがあったのだ。俺が小学生のときに先生との毎日交換ノートというのを一年間やってそこでの文章習慣だった。そして最後、母はこう締め括ったのだ。世の中で最も面白いのは行動の下敷きにある葉っぱだわ!!って。俺は最後まで母が読んでいることを知らずそれが良かったのだろう。作為は生じず衒いもなかった。