イエローダイヤ・マン《標榜編》〔1〕人々はおぼつかなくて、俺のこころで思うのはこうだ。学生を省く男子なら受講料は五万円だった。六回の講習だ。しかしここに塾講師として橋下氏がしゃべるなら全然五万円では済まなくなっていて、価値でいうと時価という表現でいうとわかり易くて、何で自分にはわかるのに多くの人々がわからないのか、不可知とでも言えば済むかというとそうは問屋は卸さないっていうこの国の人々の蒙昧度で、それはメディアが未熟だということも関連あるし国の行政分野が全然ダメという証し・・・それを俺が紐解いてくのもこの国の未来を案じるからで若者層が今何を思うのか?ここまで来ると俺の職業も明かさずじまいでは申し訳たたない。俺は政治家を目指してはない、この国のグレードランクを上げたいだけなのだ。昨日だった。その手始めになるようなキャイーンウド鈴木が以前住んでいた二箇所を訪ねていく番組で、俺が以前から思っていたことがにわかに証明される。そこにかつて住んだことがある人々が部屋の空気に加担するということだ。ウド住んでいた二箇所の部屋に住むふたりの若者はふたりとも素晴らしいのだ。かつてのウドが素晴らしいということを言いたいのではなく、部屋リレーはある・・・という観点なのだ。俺はこの番組を打ち合わせなしだと信じたし、そのスタンスで今話している。