ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔154〕トビバコは三段がやっとで、クラスの体育の優れる生徒たちの思いっきりの良さにボ~っとしてしまいます。自分の体育度にはお構いなしで、どんどん飛び箱の段数が上がっていくとき、キャロルは義務教育の律儀と無慈悲を悟りますが一方では自分でも戦略を立てていることにハっとするのです。最初から諦め体育を休む・・・そういった自分ではなく、最初の踏み込みの位置を替えたり、強くジャンプを加えたりと四苦八苦。それでも平均的な姿にはなりません。例えば積まれたトビバコの数をちゃんと超えることが規定義務教育の範疇なのなら挑むことが自然であるし、そこをアタシ文系だから・・・と逃げていては均衡の取れた成長過程にはない!とのキメツケにいるキャロルではなかったにしろ、次のことは留意しました。このトビバコに挑ませる要領で、自分が飛び箱を積んで行けば、国民的向上が得られるのでは?そのためには伝達方法は必須でした。思想を伝授するにはメディアが必要で、それに替わる物でも良かったわけです。担任は飛び箱で、みっともないくらいに落下して、それでも口に手を当てるキャロルが小学生なのに上品ぶっている・・・と言うんですね。真剣さが足りなかったのでしょう。担任の視点はわかります。例え苦手教科でも平均点には達して欲しかったのでしょうね。