先週から三投目に上がって来たいじめに負けない人生論だけど、みんなどんな職場にもいじめはあるんだ・・・。そして確かにいじめに遭う、例えばキャロの父みたいな人間は遭い易い性質や傾向を実際に持ってて、なぜ、父が教職員の世界で学校の図書室に逃げ込むことが妥当だったかというと命の洗濯を周りが許した例だと思うんだ。他に父は中学校教諭としてやらなければならないことは山積。学級担任もさせてもらえなくなったのもそういった雑事のように見えるが真剣さを伴うすべての学級担任業務ももはや中途半端にして図書室でそこに来る生徒たちをパートの一員みたいにこき使って仕事を繁盛させたという姿・・・そこが目に浮かぶ。いじめに遭っている人達はこの父の姿を参考に出来る。本が突破口になるってこと、そして父はいつもその場その場の立場にいる人々に与える最新本の情報を握っていた。結婚式のスピーチを頼まれている人にはこの本とか・・・ね?つまりいじめに遭ってる人に与える本も父なら答えることは可能~以前ならそんなもの為になるかしら?って思ってたけど母が亡くなり父が亡くなり、こうしてキャロ単体になって、わかってきたんだ。骨身に沁みるようになってきたんだ・・・。