一個上位に付けたいじめに負けない人生論。それは若い頃から加藤先生の本をよく拝読させてもらっているキャロだったから。まさか、自分がいじめに関して論じるなど思ってもみなかった・・・。なぜならその頃のキャロルは自分がそういったしかとや完全黙殺に遭うなど思いもよらず、加藤締三さんの御著書も当時は内容を異にしていて、しかとという言葉自体存在しなかった。しかしキャロルは家の中でそれを目撃・・・それでもこれが家の中を超えて、一般的に学校や社会で陣頭してくるなど考えもしない。想像だにしなかったが。しかしながら母を見ていたからすぐ様、なるほどと思えたしほぼ解決策がわかっていたのだ。しかとをする人間はずっとそれを継続は出来ないということが実はわかっているのだ。母もそうだった。ずっと母は弟が生まれても、素知らぬ顔で、義母に孫を抱かせないでおこう・・・と強気でいたが記念写真撮影のときに弟を抱かせる。それを拒否れない言葉掛けがある。親戚だ。抱っこくらいさせて映らせてやらんね?っていう強い原語。母はしぶしぶ弟を渡したのだろう。どんな気持ちでその場面を迎えたか手に取るようにわかる。このコーナーはイエスタエッセイ・・・嫁姑間に於いてニッポンでは最初にシカトを強行した母・・・そこで目撃した娘キャロルはすでに免疫があったという事実なのだ。