昨日はパール判事をじっくり見ました。あの東京裁判です。これを見たことがキャロルにあった処の不可解を説いてしまい、そのことに感謝するのです。彼がニッポン軍の残虐性や不当性を逐一見て分析しながらもなお、あの裁判の根底が間違っているとそう思った論点。彼が言いたかったことはアジアのどこの国も経験した植民地支配なんですね。同じ記憶を持つ民族的なアジアの背景を避けて通れないし、ヨーロッパやアメリカにはわからない苦痛がアジアにはあったという痕跡です。そしてこの判事の凄い点は、東京裁判結審の後もニッポンを三回訪れている。人々と交流している。なんという責任感でしょう。我々は彼に学ばないといけない、その真摯な慟哭や平和な眼差しに。よその国のことでもこんなに真剣になれる彼は特別だったのよ?と思うかそれとも、いや、本当なら自分たちが気が付き、やらなければいけなかった問題だよ!と発奮の矢を射ることが出来るのか?ニッポンの若者は恐らく後者だと思うのです。ほなあバカルいってみな~何を言っても ヌカに釘っす~ お新香あるだろ?〔こういうときに真の信仰が問われる〕