年賀状を俺は書かなくなった。それをしてもまだ、年賀状は来る。懐かしくて、返事を出したい気持ちにはなるが筆をとったりハガキを買うところまではいかない。俺はむさくるしい老人になったのだ。付き合いも一切止めて人生を振り返る。確かにばさらっかな主婦キャロだが、俺はキャロがいたから楽しかったのでは?と。あいつがいなければ自分の誉れを誰に話せたと言うのか。あまりに俺が出世の話ばかりするのであいつはいつかこころに耳栓を付けるようになっていた。俺は今自分がブザマに思えてならないのだ。キャロルのことも主婦として母としてきちんと稼動してくれない?っていつも不満に思い、近隣の主婦と比較した。こういう比較が彼女をさらなる憎しみに追い立てたことをほろ苦く思うし、これから結婚するみんなには家を明るくするのは男なんだ・・・とそう断言しておこう。どんなに女子が頑張っても限度がある。お互いがユメを実現していく姿や過程にこそ家庭生活の真価は宿るのだ。歳をとってやっとその功績がふたりに見えてくるのだ。夫婦というこのシクミこそ有り難いものだと俺は思う。キャロルの無作法さを諌めていたからこそ俺の立場も輝いたのだ。あわよくば結婚の真価を紐解くことがキャロルは可能になる。パートナーが俺でなくともやつなら解明しただろう。デルスカイは芭蕉もん。誰とも付き合いない不精者なのに俳句を捨ててない老人を指す。