ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔112〕キャロルの転園した幼稚園は当時、東望幼稚園、今はどんな呼称なのかなあ。そのお隣のセブンイレブンも隔日行ってるけど、レシートに東望店と印字。これはメジャーな厚遇で、東望の浜海水浴場をいつまでもこころの県立光景にするという意味でとっても大事なことなんだ。その舞台、クリスマス劇を思い出します。キャロルはそのときの劇に参加し、初めてとある光景に固唾を呑みます。自分達がハラハラドキドキしながら言葉たるセリフを覚えて、当日に挑むというのに、何もそれを必要とはしない人物設定に戦くのです。その日、キリストの役の男の子が出れなくなるのです。急病かなにかでしょう。するといつもキャロルと仲良しだった幼馴染みの男の子がバッテキされそんな・・・とキャロルは心配するのです。そのときに練習を積んだ自分たち以上の役柄だったこともあり、キャロルの脳内でシブキが上がります。練習もなしでそれがなぜ出来る?って子供ながら困惑。すると不思議な解明が起こります。キリストの誕生の役、しゃべるのがないのです。赤ちゃんだから。キャロルは六歳ながら人生の綱領システムを掴みます。何もモノを発せずに物事を成就することはすこぶる可能である・・・というキリスト誕生の法則です。