サファイア・マン《かけがえのない男編》〔53〕おのおのの人生に生きるみんなに平等にチャレンジが与えられ、だからといってみんなが同じ課題が与えられているわけではなくみんな違います。学問を積んで研究者になる道もあれば、学問を屋台骨にはしながらもみずからの発明に道順を取る学者もいます。卵が先か?鶏が先なのか?という論議に酷似していますが要は記憶の遺伝子がさせるものとキャロルは見ています。みんながどんなに否定しても、キャロルには最初に海を見たときに、普通の子供では感じることのないオーラが海に起こったしブイだってそうです。普通の子供が感じるブイではなく一体あれはなんなんだ?というところの浮流思索なんですね。例えば、錨に関しても同じく。イカリソースやポパイの腕の錨でもキャロル小学生時代、思考は踏み止まります。この錨についての標榜と内容。港へドッキングするためのモノ?それとも停留するため海底に打ち付けるもの?錨志向はやがて東望の海水浴場でいきなり爆発してしまうのです。沢山のボートは錨付きで漂泊しキャロルは乗りたくてたまりません。エイミーは小学生ながらこれに乗ったら危険だわ!とキャロルは最後止められます。良かったのです。当時のボートは錨が付いていて、キャロルは自分が乗ってどうなるかを確かめたかったのです。