トッポキャロ構想~あの映画、バタフライ・エフェクトでも日記の存在があったか?それは妄想か?っていう論議で、もしも日記あった?って思う方が実はすんなりいく。妄想で動くニンゲンこそ最低最悪で、キャロルは自分が妄想家などと言われることがわからない。自分にあることは他者にはないんだ・・・ということは理解出来るがだから、それって妄想なんだよ?って凡人に言われる筋合いはないのだ。ニンゲンの持って生まれた資力はおのおの差異あって、そもそもそれを通常の匙で計ることが愚の骨頂だと思っている。各人に差異はあるし、能力にも開きがある。そこが特に女性陣にはわからない。何が最も大切なのか?顧客が来ていればそれが優先で、検品よりも顧客に買ってもらうことの方が優先~そこにまだ、コンビニが気が付いていないことが悲しいのだ。一個のパンで、ローソンでも揉めた。それを処理出来ないキャロルが宙に浮き、みんなにののしられた。しかし、一個のパンなんて、顧客の人生に全く関与ないのだ。キャロルは優先順位は全くわかっていない国も同位だとそう思う。いじめと日記は関与だが、あの女性教師、日記を読んでいたにもかかわらず、無策だった。何の為の連絡帳か?いじめにもっと切り込んで国が解決に向うときが来たのだ。