ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔105〕はっきり言えばキャロルは十の項目が人生で台頭していることに視点を合わせていました。この国の不明瞭制、この国の男女平等の不可侵、そして男が終身働くという雇用制の不備、女の怨念と猜疑心、子供の位置の自由枠、そして勉学の根本、あとよっつは自分の身体の不思議でした。女の子でありながらそうではない時が・・・、そして男は女のよりもすべての意味で上なのか?自分は罪を持つ身なのに誰もそれを知らないという暫定、そして最後は家庭の持つ海より深い意味でした。みんなが在籍するこの家庭の貧富や両親の質で、そこで培われる知識や技能がおのおおの異色であること・・・。自分はそういった意味では最高の環境にいることを喜びます。父はその頃、盛んに自分の演説声をテープレコーダーに録音して、幾度もその茶色のテープが絡まり四苦八苦しています。録音内容もここぞといったメリハリがなく父をキャロルは冷静な判別基準のもとに見ています。母はこの男には価値はないんだ!といつも豪語の捨てセリフだったのですが、キャロルは小学校に上がるころから父を別のスタンスに立って眺めるようになっていたのです。別名、長い視点です。