ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔95〕今生きていることが奇跡なようにキャロルは危険な遊びをしていたし、その朽ちた海水浴場の桟敷が丸のまま残っていた事が現実の遊びを引き出していたのです。教師達やPTAの間でもその危険性が問われ東望の浜海水浴場は完全封鎖されるんですが、それでも小六くらいまでは遊んだでしょうか。キャロルには小さい時から奇妙な符合があったのです。夢で見た聞いた会話が現実場面でやり取りされるという・・・。それは何百回にも及ぶのです。どうしてかなあって思うんです。キャロルはいつか、ユメの中での会話をしっかり記憶しようと試みます。もしもしっかり記憶したものなら、はっきり証明が出来るだろうと・・・。すると、大体一週間後、同じ会話をお友達との間で、或いは両親との間で交わすのです。気味が悪いとは思いません。むしろこれを生かせたら?面白いぞ!?となり同じユメばかり観ている自分にもハッとさせられます。それはトイレの扉。十は扉が現れても、どれもトイレが詰まっていたり、ドア自体が開かなかったりで、スッタモンダするのですが、最後の最後、我慢できなくなって、漏らしてしまう寸前ですんなり開くドアを見つけてしまい、必ずこれはホンモノのトイレに違いない!って思って出すけれど実際の結果はおねしょ。それで、何回も母に怒られます。小学校六年生?いえ、中学校に入っても繰り返しているんですね。一種の仕掛けだろうと思うんです。人間の思考に掛けられた装置、興味あるのはこれが惰性の反対行為にあたるということなんです。