恐らくキャロルは最期に近いときに義父の本当の思いを聞いている。葬儀に一円も使わないでくれって。その気持ち、切なる気持ちから個人の意思を尊重したものだろう・・・と。なぜなら、俺は自分の葬儀費用は持っている、それを回すことも出来たからだ。おちこぼれの一族なんだと、俺は常に妻の実家を、面と向って攻撃したし、今になって思うのは、義父のこころのうちをあと少し聞いてやっても佳かったのでは?自分の葬儀の費用でまた、娘が夫に頭が上がらなくなるのは済まないことだよ・・・・。きっとそういったプライドが最期にあったのだろう。まだ意識あるとき、あいつが最期に手を握ったとき、義父の信念を読み取ったという。父と娘のプライド絆は堅かったしプライド傷は深かった。義父をもみじ谷へ運んだのはレンタルのタウンエースだった。俺は街中でこのクルマを観るたびにありし日の義父を思い出すのだ。