サファイア・マン《かけがえのない男編》〔7〕キャロルは一回目の恋文を出して、失恋そして、次はかなり慎重になっています。その中3のときの切符のいい男の子には、恋文は出さない替わりに、年賀状にしたためます・・・。かけがえのない日々を祈っていますと。当時15歳のキャロルはかけがえのないの七文字にゾッコンだったし、この男の子への年賀状以外でもどこかで、卒業記念文章なんかで書いていたかもしれない。とにかく言葉に敏感だったから。両親がいつも激しい言葉を吐き合い闘争していたから、言葉の美しさに逆説的にいえば無頓着だったという反面も奥義にあったと・・・。すると、言葉が子供を育てるといっても過言ではないでしょう。慈しみにあふれる言葉一杯であの若草物語の母親のように育てれば、間違いはないということです。問題は教室という社会に出てから知り合う、クラスメイト、担任、そして、町人たちや隣人も入るでしょう。どんなに最高の汚れないこころを培って家庭で育てても、幼稚園にいじめっこがいたらすぐに問題は勃発。かといって、映画エレファント・マンのように子供を家の中だけで教育しようとすると大変な人間になってしまう・・・。この兼ね合いが難しいのです。最も優れた子供とは、隣人が憂えていたらば一緒にそれに向き合うことの出来る子供。しかし、言うは易しいとは本当で、優しくしたくてもそれが出来ない状況ってのも確かにある。キャロルはごく普通の家庭に育ち、確かに父と母の強さがよそとは反対ではあったけれど、取り立ててどこがおかしい?というような家庭ではなく教育一家でした。だからセカンドラブレターに拘りましたね。