サファイア・マン〔かけがえのない男編〕〔4〕思い出してみましょう。この男の子は自分に釣り合わない程もったいないとか格下だとか、結構論理的に考えていたし、特に、ユーモアあって、イケメンで、スポーツ出来て、しかも秀才なら、誰もが狙う。でも?そこで競争率やら考えて引いてしまうんですよね。今は、引くっていう言葉自体に侮蔑が入ってますが、当時はまっすぐなニッポン語でして、相手が素晴らし過ぎると自然と後ろへ下がる・・・。美しい伝統でしたし、今は、それがそもそもない。ニッポンの欠損事項ですよね?キャロルも小学校五年生時の初恋を自身の中でスルーしてしまうのは、彼がステキ過ぎたから・・・。自分には、中学校の時にときめきを感じた海辺くんがやっぱり初恋に順当するのかなあ?って。憧れと初恋・・・。確かに全然違います。なんらかのアクション起こしても、小学校五年の彼は、さあ~~~っと自分の自転車の横を自転車で駆け抜けていってしまった。橋口くんと一緒に・・・。辛いけどこれこそ失恋なんですよね、恋って失恋があるからややこしくなるんですよね、自分が好きでも、相手にとっては、単なる、そこら辺のコスモスだったり薔薇だったり。ああ!だから香水なのか?っての、納得ですよね?本当に、人間として愛されていることが大事だとキャロルは思うんです。覗き見なんかをしているキャロル、変な人だなあって、きっと海辺君も怪しんでいたに違いありません。でも中2のとき、不幸の手紙がある男の子から来て、それこそ、自宅の赤いポストにね?かなり喜びました。あの頃はそれがまるで今でいう告るという行為に匹敵したからなんです・・・。