サファイア・マン《緻密な男編》〔2〕緻密な男というのは計算高い。こうすればああなる・・・そういう計算はまず暗算で出来ないと緻密とは呼ばれない。認識をあらたかにしなければいけないのは、緻密の解読だし、その不測オーラだろう。キャロルは、26歳の頃、そのクラブで、顧客たちをまず、緻密な男と面白い男に分けて、テーブルで分類していた。その様子をクラブの先輩である広子さんが面白がって、自分の顧客を分類してよ~とテーブルにあゆみなるキャロル付けた。正しく社の精鋭とすぐにわかった川原さんを緻密な人と分類。大柄で、ムードメーカーの南泉さんを、面白い人と分類すると、テーブルはざわめいた。その分類の基準になるものを、みんなが知りたがり、自分はどっちのタイプなのか?とせわしく聴いてきたのである。キャロルが思うに、面白い人の方が、融通がきくし、緻密は融通はきかないけれど、勝利性にたける。どちらも大事だし、面白い人の方が、頭がいい場合も。。。、ただ、頭のすこぶる切れる人々は、面白い人と分類されると、ホッとしたような安堵の表情を見せるし、本当に頭が鈍い人で、緻密と呼ばれれば、その法外にひどく喜ぶといった鑑識の上限を養ったのである。このままでは、ニッポンは政治家全員が、面白い人に変身を遂げ、化けた後は逃げ出す可能性大!そして残るのは、鈍い頭の悪い緻密な男たち。こういう事態を避けるためにキャロルの眼識がこの国に必要になっているという際どい構図になっているのかもしれない。