ルビー・ウーマン《ジーニアース編》〔50〕お腹にいる時から、キャロが恐怖を抱くのにはそれなりの原因があり、母はどうも、子供なんか、実は要らなかった、自分は産んであげたのよ?っていう驕りが見え隠れしていたこと・・・。キャロは不思議な概念にさいなまされ、どうして、要らないと感じたのか?非常に重大なことではないのか?って。神は、こう言うのです。お前は排卵のお陰で、命を得たが、もしも精子がなくても生まれたか?というと、そうではない。人間というものの、科学の分野を否定するものではないが、そうやって、生みたくはない、子供なんか欲しくはない、母のこころが、すでに病んでいたとするなら、解明してあげなさい、生まれるべくして、お前は生まれたのだからと。キャロは、なんで、欲しくないと母が思ったかは、まだ、わからないけれど、無精に悲しくなったのです。そして、対比のように、映し出される、父の歓喜・・・。これが、敗戦後11年のニッポンの教育一家の群像であるのなら、書き足す意義はあるかなあって。