サファイア・マン《緻密な男編》〔134〕主婦が家の中を小まめに掃除したり、子供達の世話をすることは当たり前で、それ以上に求められることが家庭の中で数々あるにも関わらず、キャロルは全く別の認識で西嶌式家庭学習を学んでいました。自分には教養はない、そして確かな学識もない、それなら他の人にないものを探し当てることしかないのでは?自分に突出したものがあればな?と希望はせん望に変わっていくのに、やはり確固としたじぶんキャリアが見込めないのです。このままじゃあいつまでたってもダメだ・・・何か突破口になるものが必要になる!!との思いで近所のガラクタ屋を尋ねます。その前にゴールドのマイクも揃えていました。ピアノに取り付けるセッティングも終え、あとエコーの源ア・ン・プが必要だったのです。ひとり悶着が寂しかったけれど音楽に希望を合わせたのです。よくこういわれることがありました。自分がピアノを弾けてそれでなおかつ、なぜそれを子供に伝授しなかったのか?なぜだかようやくわかりました。ピアノを弾くことと作曲は別の仕草だということです。数あるピアニストは世界中にいることでしょう。しかし作曲を全員手掛けているわけではありません。キャロルはかなり周囲に恵まれました。昼間はお隣さんのどちらもマンションの部屋が留守。自分の声を響かせることが可能だったのです。

永久欠番の記念式典でのジーターの待ちに待たせた登場!!胸をえぐられるように嬉しかった。結婚なさっていたのだ。美しい奥様とそしてお腹にも赤ちゃんがいて、昨日ほど栄光のヤンキースに感涙した日はなく、それはそもそもジーター選手のお人柄とストイックな言動にあると思うのだ。全力を出して闘う反面彼には独自スタイルがあって、ジーターに共鳴した人々も越センス〔エッセンス〕を有していた。野球を心底愛する知のグループで、彼と共に成人した人々も多いだろう。正しく時代を彩ったヒーローの除幕式でキャロルは感動の瑠壷となった。そして永久欠番が列挙してある画面に同じ数字が二個あるのだ。なんでやねん?ってキャロルはシゲルちゃんに訊くけどなんでだろうな?って彼もわからない。そういうやり取りのもと、キャロルが全く評価してなかった二人がホームラン!!これには参る。ブレグマンのグランドスラム、そしてホリデイも結果を出す。今日はこのホリデイを詠みましょう。ほなあ大リーグ戦竜お願いします。今日あたり ホリデイビールと 張り込もう~☆移籍してきてホンマモンの結果出すまでに時間は必要だったんだろう、張り込むは刑事用語のようで実は庶民がご馳走を奮発するときにもツカウ~☆

いじめに負けない人生論は今週も涼しい顔で闊歩していく。誰も自分の陣中に入れなかったから涼しい?そんなことはサラサラない。いつでもみんなへの門扉は開いているし、何の差別もない、そういう流儀のもとにキャロルはいて、イジメを総括出来る立場にいるのも子供を五人育てたからだ。苛める方にいた子供でさえ、苛められる時節に突入したりで、その推移翻流は計り知れなかった。いわば苛めという物体は独自にアメーバのように動くのだ。今日苛めていたからといって明日は?そこは断定出来ず、動くいじめ軍団といかに対峙していくかが見極めの根底にある。苛めている側は本当は怖いのだ。いつ、まな板の上の鯉〔故意〕になるか?そこが聡明なら聡明なほどにわかっている構図だ。本能ではすでに観念していて聡明で有るゆえ納得も速い。いじめが行こうとする着地点が読めている。すでにジタバタしているのなら加害者だろうし、苛められた側は涼しい顔でいられる場面だ。この両者をわかっていないとまずい。苛められた方が俯いたりするから物事が見難く〔醜く〕なってくるのだ。

小池さんのニュースが出ると真っ先に見ていたあいつの態度はガラっと替わり、それでも俺は小池都知事にご執心で、昨日、何とかファーストではなくラストではないか?という言い方でけん制してきた菅官房長官の鼻息を見ながらほおおおおっとのけぞる。ウマいこというなあって。しかしそこでの言い回しが効を奏していくとは思えず、菅官房長官は何をどうしたかったんだろう?と俺なりにそのけん制の意味を考えあぐねた。一方、小池都知事のやり方に難癖を付けている人間の多くには、豊洲やオリンピック遅滞以外にも様々あるのだろう。俺が選挙に強い政治家を愛するタイプだったことで、あいつとは別の路線になった。俺はやはり政治家の手腕に委ねたいと思う。小池さんの布陣に、都民ファーストをこれからキリモリしていく魅惑の人材がいるように思えてならない。エドはるみもここに入れば良かったのにと。どっちにしても、古い自民党のこれからを見守る以前に、あいつはさっさと席を立った。そこがシゴ~ク残念だ。政治家に見切りを付けることがどれくらい、この国の国民にとって納税者にとってマイナスなのかあいつはてんでわかっていない。デルスカイしておこう。東京シンデレラだ。

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔191〕一度に沢山の仕事をこなす器用難儀よりも俺が選んだのがこのブログセッティングだ。誰にいわれるまでもなく俺は毎日進行のこのブログに賭けた。そして他の仕事をセーブしてここに集中することが当面はラッキーなんだと結論を出す。もしも俺の仕事の任期が終わるとしたらそれは人気がなくなったときだろう。それくらいショートな気持ちで毎日をトークランニングしている。俺は口語でこうして作っている。間違っても文語ではない。そしてほぼ丁重な物言いは避けている。丁寧語も謙譲語も使わない。21世紀リミットの本管をそう捉えて間違いと思うグループで、もしもこの生き方を問われても、補足したりガタガタいったりはしない。きちんとしたステータスがあるからだ。この国が尋常ではない経験の元、今あること、民主主義の到達の仕方だ。ここにも一考の価値が生じてきていて、他の国々の進め方とは違う路線で来た事だ。俺がもっとも類意したいのは、降伏書面にサインをした国だったという現実だ。この背景はマイナスのようで、実はプラスなのだとそう思う。国家は埋没し、降伏はしたが、それによって得るものがあった・・・。マイナスは確かに甚大ではあったが得るものが大き過ぎた。・く・として俺はこれを挙げたい。屈する方が成長を呼び込むのだ。

サファイア・マン《面白い男編》〔134〕鬱屈とした自分の心を青空のもとに咲かせるためにキャロルが強行したのは月に一回か二回はデパートへ行き、気持ちの発散を図ることで福岡玉屋や大丸、岩田屋、そして志免の西友によくタクシーに乗って繰り出しました。自分の心を世間の鏡によって対比させ、左右を合わせようとのもくろみでした。子供達ははっちゃけて満喫を味わっているようでした。ただ、引率してそこのフロアを通り過ぎるだけなのに、ここまで嬉しい笑顔を振り撒かれてはたまりません。自分の思惑が結論と一致した例で、そういった無礼講を借金をしてでも強行したのは自分の命の洗濯も含まれていたと解釈するのです。当時、中々進展のない夫の態度では、マイナス要因しか駆り立てなかったものがどうでしょう。スタンスを変えれば実に見事な展望は見えてくるのです。そして苦々しいのはカレーはおかずには入らないと豪語した彼の無責任極まる言葉でした。心の中に復讐心がメラメラと燃え上がり、カレーライスを仲良く食べる家族の姿に嫌悪が湧きます。なぜ、選ばれたのがカレーだったんだろう。そこが意味不明で子供を育てる父として妥当とはいえなのでは?と。しかしそこでも内奥で押し問答が展開されます。いいものを常に食してきた人間の塊が問われていました。

二日間大リーグを見れなかった。正しくこの気持ち、何だか心にポッカリと穴が空いた気持ち。切なさを補ってくれたのが小宮山解説者のニュース観点だ。ニッポンでダメだった投手が今大きく羽ばたこうとしている、それを見守る彼の温かい眼差しがアメリカの空で映える。普通はみんなこう思う。ニッポンでフォアボールばっかりで、なんでメジャーで通用か?馬鹿いうんじゃない!!って。しかしそういう判定のもとに小宮山さんは立っていない。粛々とアドバイスを与えているのだ。美しいな!!ってキャロルは感動する。ダメでもともと、長崎弁でこう言ってキャロルも励ましたい!!きばりんしゃい!!ってね。大リーグに二日間、すっぽかされた関係上この映像は神架かっていたし、ダルビッシュ・ユーを思い出す・・・。ほなあ大リーグ戦竜お願いします。ダルいとは 言ってられない 俺の夏〔ダルのアメリカデビューをあの美しい瞬間を、思い出す〕