非常に厳しい局面を迎え、俺自身が消費の三原則を解く位置にきたことは法外で、これは実験しよう!として試みた結果ではなくごく自然な成り行きで明記しとこう。いつも娘と俺の中間で通訳したり言い訳してきたキャロルこそ辛かっただろうがその仕事をまっとうしたことが我慢強かった。つまり娘たちのプライム新人類拘りが並大抵ではないという第一難関だった。大きなペットボトルから小さな容器に入れるその差し替え作業すら嫌がった。小さなペトボがいいのよ、じぶんボトルだから・・・との拘りだが撤廃する攻略に成功。大きなペットボトルでしかダメになったのは病になったからだ。そして家のご飯がダメだった・・・これはゴキブリを台所で見ていた経験上のトラウマでこれも制覇した。そんなこといってる場合?病気が悪化してもいいの?ってとうとう堅い城門まで突破した。あとは俺達の世代と何が?俺は1940年から1945年に生まれたベラボー新人類だ。そことプライムへの架け橋とは?ベラボーとは戦争の記憶もないのにやたらめったら腹がすく世代。蒲鉾屋の息子をボコボコにする夢を何回みたことか・・・通訳も折衝ももはや俺と娘間には要らないし垣根も取っ払われた。原因は病だ・・・この難関が娘を向上へと向かわせた。感謝感劇をデルスカイしておこう。

サウジアラビアで最も人気があると言われる明さんが曹長の心をがっつり射止める。こんな明るいスポークスマンになれたらな・・・普通の企業人が出張時での自分の発見を軸にトラバーユを経ながらこういう位置まで昇りつめる。社内出世にはない相当分の国際貢献が見込まれてお手本になる。しかし彼の場合やはり基本があったからこそ・・・と曹長は思う。興味があればすぐ知ラベル、動く、そして難関を自力で撥ね除ける。こういった柔軟かつスピーディが自分にはないな・・・と曹長は思う。やはり自分のトップはキャロル総帥なのだ。彼を超えている人物への心服はありえない・・・とそう結論付けて、勢をやっつけたキセノンの快挙に酔う。なぜ、キセノンはやる気のないような表情で俺達を魅了するのか?そもそもやる気こそがニッポン人の標榜だったはず・・・そこの思い込みをまず哂う。キセノンはそれをすることで、相手を威嚇しているとすれば1980年から1985年に生まれた第三進人類といえはしまいか?プライム新人類だ。やる気なんか そもそもね~んだ 俺曹長

ルビー・ウーマン《黎明編》〔182〕インターネットの繁栄で容子の文章が瞬く間に世界へ浸透する・・・こういった恩恵を得ることと収入を得る、自立して行くこととどういう訳か容子の場合は並行しながら訪れなかったが、収入を得ない限り容子が幸せだ!!と自分を語ることなど不可能なのでは?いいえ、それは拙攻ですよ。ええ?それはどういうことかね?早計ではなく拙攻といったのは収入がないからこそ、優位に立てるということで、その辺を序盤から知っていた・・・・わからんな、説明が要る場面だな?はい、もしも容子がこれまで、自分の為にバリバリ儲かってきた人間なら誰が振り向くでしょうか、いつも誰かに踏みつけられてきたその歴史が万人の心に沁みる。わからんな、それでは人間自体が、イジメを愛するように取られかねない。いや、そうではないのです、例えば好感度を測るテストで試案してみましょう。これはテストの段階なのです、いじめにあってきた人間がそれこそいじめた者達をスルーしながらすべての障害物を撥ね退けたときに、やはり中間地点のバーの高さやいじめの頻度を鑑みるでしょう?ああ、それならわかる、我々ニッポン人が今まで気が付けなかったすべての盲点死角を容子が立証する位置にきてしまった、ただそれだけのことですよ?・・・わかった。虐めなら 百戦練磨の 総帥かな

イエローダイヤ・マン《標榜編》〔131〕俺の心にいま燦々と輝くのがウィメンズマラソンで名古屋を走ってニッポン人として最高の走りを見せた安藤さんだ。名古屋の町並みもいい。俺達福岡にはない城がやはり目を奪う。シャチホコなどこういったニッポンの城下町にしかない風情が俺のこころをノックする。城があるのとないのとでは格式も心のありようも違うのではないのか?この名古屋に開業でワクワクするのがレゴを基調としたランドだ。少年の気持ちが俺達にはあって、それがどんなにくたびれたおじさんになっても挑戦シーンとして挙がる。くじけそうになる心が、無差別に誰かを封じ込めようとしてもそのレゴならレゴが協調へと向わせる。人間を超えた何かが商品にはあるのだ。俺は心を閉ざした人間ではないもののその辺の衝突の中心にある者の心の葛藤にはくわしい積もりだ。俺達にも常にわかっていてる。生々しい折衝を嫌いその中心的人物に接近することは避けてきた。それなのに・・・この籠池氏はどうなのだろう。自分の居場所を彼が求めた結果だろう。大阪府知事松井氏は菅野氏を一流ではないような言い方をしたが菅野完氏はどういう経歴にあるのだろう。一流や二流という括りでモノカキをいいたくはない。俺自身が駆け出しのブログライターだからだ。

今回の侍ジャパンWBC快挙の裏でキャロルの戦々恐々は激しくてそれは大リーグの選手達の名前を忘れてしまっていること・・・。ザンダー・ボガーツやグレゴリウスはわかりましたがその他の多くの大リーガーたちの名前やチーム名を忘れてしまっているんです。早く正常に戻りたい!!昨日は興味深くサスペンス見たんですがあの鹿賀丈史さんが刑事の役で原日出子さんがその妻の役。自分の妻が誘拐されてしまうストーリーでしかも音楽を永ちゃんが務める。しかし早速ヘルプが入ってキャロルはマサトの世話で動きます。ここんとこずっとマサトシフトで動いていてこれからじっくり大リーグを観れるかがとても不安。就活家族もラストスリーを見逃すアリサマで昔のおんぶ紐が良かったなあ。。。って嘆き呟く。今のダッコバンドは現代女性の体格に合うように作られていて特にアメリカ製品を購入したのが間違い。確かにおんぶも出来るのだがすぐ摺り落ちてくる。昔のおんぶ紐の方がはるかに使い易くて、しかも赤ちゃんは体に密着していておんぶしながらすべての作業が出来た。古いものをもう一回見直し、そして市場に1個くらいは入れる工夫もありだにゃにゃん♪

月曜日から水曜日まで、短歌や俳句、川柳がないので、きっとこの木曜日あたりがそろそろ川柳やそういうのを観たいな!!っていう気持ちにみんながなってくる。そこで今日は今場所、なんと白鵬から初金星を奪取した勢を詠みましょう。昨日の取り組みで両者の着地がどうかで物言いが付いた。しかしひっくり返ることはなく、勢いが勝ちました。ここで勢が名前でありながらこの取り組みに関与していることに気が付く。そしてケリは付く。物言いはあってもケリが付いて初金星。横綱の強いプライドが土俵上に飛び散って、見る者の心を釘付けにしました。こんなに相撲って素晴らしいものだったんですね。キセノン効果にあやかりながら勢いを詠みましょう。初金星 勢い余って 出しにけり

人生は最後の砦を有している者とそうでない者との落差は激しいぞ!!と俺は切磋琢磨する。最後の砦とは最後、心を鬼にして自分を殺そうとする相手を近くに持つことではなく、最後、心を女神にして自身に寄り添ってくれる相手がいる・・・そこが肝心だ。俺は嬉しい悲鳴の本当の意味に到達する。なんと二日レンチャンで孫のおもちゃを買うハメになる。おとついはショッピングおままごとで大阪のムラオカ製、昨日はこれも大阪の尾上萬の機関車トーマスだ。どちらも千円はいかないが俺の家計簿は今の時点で大赤字なのだ。あいつたちが今後、ファミリーマートを訪れるとすれば使い捨て歯ブラシを買うときと、お金を下ろすとき、料金等の支払い時だけだ。生活軍資金を孫のおもちゃで奪われるとは・・・・しかし悲鳴は悲鳴でも嬉しさはある!!俺は最後の砦がダイレックスであって佳かった・・・とそう思う。清貧のみんなが寄り添うスーパーマーケットのクレジットカードすら、俺には届かなかった。だからポイント無し。くやしいがそれも人生だ。俺のダイレックスへの片思いはこれからも続行だ。デルスカイしておこう。人生の最後の砦だ。英訳も踏まえておこう。